一冊の本についてーSIDE:B 飯塚友春の場合

『そろそろ、返してよ』

送ってしまってから、「久しぶり、元気?」くらい書けばよかったかと後悔した。
書き足そうとしたところで、すぐにレスが来た。22時。もう、家に着いているのだろうか。

『返してって、何を?』

覚えていないのだな、と思った。初めて会社の面子で飲みに行ったときにたまたま貸した本のことだ。飲み会で貸された本なんて覚えてないだろうな。俺は笑いながら文字を打ち込む。

『覚えてないの?』

覚えてないの?――思い出したら面白いのに。お前が酔っ払って太宰治について延々としゃべっていた、あの若かりし日のことを。同期にドン引きされるきっかけになったあの夜のことを。それでも俺とは文学という共通点を見つけてひそかに盛り上がったことを。

『だから、何を?』

覚えてないんだろうなあ。どうせまた酔っぱらってああいうことを繰り返してるんだろう。
なんて言えばいいのかしばらく逡巡した後で、老婆心から出た言葉がこれだった。

『お前、そういうところなおしたほうがいいよ』

「覚えてたら面白かったのになぁ」

やっぱり、飲みの席の記憶なんて曖昧なものだ。覚えていなくて当たり前か。

『よくわかんないけど、ごめん』

返事には思わず笑ってしまった。そういえば、あの飲み会の次の日もこんな感じで謝ってたのを思い出す。すぐに謝るのはこいつの悪いくせだった。

『謝ることじゃないだろー。久々に飲もう。いつ暇?』

既読はつかなかった。新しい職場は、忙しいのかもしれない。

SIDE:A 西山大地の場合