人生全部をコンテンツ化するのはきゅうくつなこと

かなでです。
日々色々な媒体に目を通しますが、ネットでの情報に触れていて
ふと気が付いたことがありました。

人生全部をコンテンツ化するのはきゅうくつなこと

人生全部をコンテンツ化するのはきゅうくつだ~と、数日前から思っています。
なので、ブロガー的なことは早々にやめました。(前回記事参照)
怪談とねこのこと以外を考えている時間もあるけど、それらを言語化してインターネットに載せないという選択も大事
それくらいのゆるさでちょうどよいと思います。

そもそもそれは記事になる素材なのか?

あれもこれも記事にしようと思うと、生活の全てを一つ一つ丁寧に、深く掘り下げる必要が出てくるように思います。
けれど、そこについての私個人の知識は浅いものだから、結局誰かに求められるレベルの記事にはならず、
個人的にうすい内容で本数を量産し、書いたような気になって(伝わったような気になって)
自己満足をしてしまうな
と思ったのです。

ブログは、書く側としても、読んでもらう方にも面白いと思ってもらえるように続けていきたいからこそ、
インターネット上では出す情報とあえて出さない情報を分けていくことにします。
過去に私は「自分が隠していた部分をつまびらかにしていく感覚に、まだ少し慣れません」と書いていました。
その感覚が正しかったのだと、今、あらためて思います。

つまびらかにされるときはいやだってくらいに暴かれる

最近のメディア報道を見ていると、芸能人のスキャンダルについて
「ここまでするか」「どうやって調べているんだろう」と思います。
身近な人からのリークだったり、取材されて話してしまう友人がいたりするのでしょうか。

求められた時に、必要以上に暴かれるのはある種の暴力だと思っています、が、
求められていないのに必要以上に曝すのは、ある意味公然わいせつみたいなものかな……と、
ふっと思ったのでした。

書きたいことを書けばいいじゃない

結局はここに落ち着いたのでした。
インターネットで発信するのは、あくまで私の一部。
それでいいのだと思っています。
こうやって無理をせず、気長に続けていきたいですね。