怪談と向き合えるようになるまでのお話

かなでです。
今日は怪談と向き合えるようになるまでの話をしようと思います。

怪談師になると決めた25歳

25歳で怪談と出会い、怪談師を名乗ることになりました。
怪談を初めるときは、とても怖かったです。
朗読や舞台をやったことはあるけれど、怪談を人に話して聞かせるという経験はしたことがない。
そして浅草女子怪談のレギュラーが決まり、毎月新しいネタを下ろさなくてはならない。
気が狂いそうでした。覚えるのが辛かったとか、そういうわけではないのです。

「私の目に見えない世界に、たしかに存在しているもの」に、どのように関わればよいのか。
自分の中で答えが出るまでは、とにかく恐ろしく、常に怯えていました。
たとえば、八丁堀のシェアハウスに住んでいたときは、廊下の突きあたりにあるシャワールームが怖かったです。
頭上にある換気扇から女の頭がぶら下がってこちらを見ているのではないかと何度も疑いました。
あるいはトイレにも、換気扇や、便器の中、ドアの外から、何者かが覗いているんじゃないかと思っていました。

「見えない」からこそ「恐ろしい」

元から怖がりなのですから、当たり前です。出来るだけ見ないようにしていた「あちらの世界」のことを、
ほとんど四六時中考えることになりました。
そして、「目に見えないから恐ろしい」のだと、改めて思いなおしました。

そうなんです。霊感のある人は、「当たり前に見えている」から、怖くないとおっしゃる方が多いのです。

私は「見えない」からこそ、関わり方に失礼があってはいけないと、
自分の中で答えが出るまでは怪談を話すことが、とにかく恐ろしかったのでした。

お祓いが心の支え

そこで縋ったのが、「お祓い」でした。

「お祓い」について調べ、「ご祈祷」と「お祓い」の違いから、お布施の金額から、何から何まで調べました。
困ったときの神頼みとよく言いますが、私は神様に向き合うことで、自分を見つめなおしていたのだと思います。
「この怪談は、このように語ってよいのか。そちらの世界の方々に、失礼ではないのか」などと、
ずっと考えて、心霊のロケに行くときも「けして冷やかすつもりではありません」と、事前に神社にお参りをしていました。

最近引越しをして、どうしても初めにお祓いを受けた神社へは足が向きにくくなってしまいました。
そして、昨年の冬が絶不調。やはり何か関係があるのかもしれません。
(単に年齢からくるものかもしれませんが、まだ20代だから大丈夫だと信じたい!)

仕事の帰りに出来るだけ足を伸ばして、「いつもありがとうございます」と手を合わせるようにしています。
その度、私は私の怪談に対する姿勢を見つめなおし、より良い芸を磨いていけるようにと思いなおします。
目標を立てなおしたり、うまくいかないことを見つめなおしたり、常に守っていただいていることに感謝したりしているから、
私は手を合わせている時間がとても長いのです。